僕の両親について

2020年11月17日

自分の親ですが母親、父親両方との良い思い出は殆どありません。
僕の家は卸問屋を経営していまして幼少の頃は母屋に事務所があり同じ敷地内に倉庫と作業場がありました。
母は3人姉妹の長女です。父は同業の商家の次男で祖父の養子になり、その後母と結婚しました。
母は祖父が経営する会社の経理を担当し、父は営業を担当していました。
僕が生まれた当時は祖父母・両親・2人の叔母が同居していました。
祖父が独断で決めた父との養子縁組と母との結婚を祖母と2人の叔母が面白く思っていなく3人は父に辛く当たっていました。
そのため両親は家の中では相当居づらかったのではないでしょうか。
そんな中、僕が誕生しました。
そのときに祖父が周りに人たちに「本当の跡取りが生まれた」と言って周ったそうです。
それを聞いた父は「俺は結局は他人なんだな」と思ったそうです。あとから父本人から聞きました。
家の中でますます両親の居場所がなくなったと思います。
僕が生まれてからは食事は母屋でみんなで一緒に食べて、両親と僕は寝るときは倉庫の2階に増設した寝室で寝ていました。
そこでの記憶は嫌味を言いながら飲んだくれる父に母が言い返して喧嘩になり巻き込まれないように寝たフリをしていたことです。
父の怒りの矛先が僕に向くと大変です。
グローブのような大きな手で顔をぶたれ一晩中ジンジンする痛みに耐えなければなりませんでした。
父は祖父母の前ではおとなしく、母と二人だけになると酒を飲んで酒乱になるタイプでした。
母は思ったことをズバズバ言うタイプの人です。内緒話を大声でしたり一言余計なことを言う人なので父の機嫌が悪いときに火に油を注いで事を大きくしてしまう人でした。
当時、議員をやっていた祖父は子供が寝る時間に家にいることが少なかったのですが、たまに祖父が家でゆっくりしているときは「今日はおじいちゃんと寝たいな」と言って両親から避難していました。
両親からすると僕が祖父と一緒に寝ることが面白くなかったようです。

しばらくすると妹が生まれました。
両親にとって「本当のわが子」が生まれたのです。
その2年後、弟が生まれました。
両親にとって『僕=祖父の子』『妹と弟=両親の子』という構図が出来上がりました。
その時から僕は両親のストレスのはけ口で嫌味や文句を言っても良い存在になりました。
それからというもの、僕は両親の理不尽な言葉や暴力に耐えながら機嫌を損ねないように顔色を伺いながら生きるようになってしまいました。
さすがに僕が大人になった今は暴力はありませんが理不尽な言葉は続いています。
本人たちは何も考えていないで言っています。
もうすでに祖父は亡くなってしまっているので祖父に対する当てつけや僕を苦しめるための暴言ではないのは言われている僕には分かります。
もう習慣というか癖というか僕に嫌味や文句や理不尽なことを言うのが当たり前になってしまっているのです。
それでもなんとか言われないように両親の顔色をうががってしまいます。
しかし逃げるという選択肢を取ることができないのです。
僕が結婚して子供ができた今でもです。

父は現在、癌を患っていて余命幾ばくもありません。
父の容態が思わしくないと母は僕に怒鳴りつけます。
僕に怒鳴ったところで父がよくなるわけではないのですが。
それがおかしいことだと母は気づいていないのです。
それでも僕は母や父が喜ぶような選択肢を取ります。
先日は母の誕生日なのでプレゼントを渡しました。

親が子供に与えた苦痛は一生トラウマとして残ります。
しかし子供が親から離れることは非常に難しいです。
そんな親と縁を切れといいますがそれができれば苦労はしません。

僕は現在、祖父から父へと続いた会社の後を継いで社長をしています。
僕が社長になったのは父が癌に掛かった約10年前です。
母は祖父の代からずっと経理をしています。
僕が社長になってから現在もです。
僕は名前だけは社長ですが実質実権を握っているのは母と病床にある父です。
社内ではいつも母の顔色を伺って仕事をしています。
多分社員たちにもそれは分かっているでしょう。
数年前に母が独断で弟を会社に呼び寄せました。
母の経理の仕事の後を継がせるためだそうです。
それから会社の物事を決めるのは母と弟です。
銀行との折衝を母が、仕入れを弟が。
僕は銀行借入れにただハンコを押し、発注書にハンコを押すだけです。
銀行借入れの保証人はもちろん僕です。
会社になにかあれば僕の財産が持っていかれます。
僕が何か新しいことをやろうとすると財布と仕入れを握っている二人が反対します。
弟が何か発案すれば二人で勝手に作ってしまい、市場調査もしていない売れるかどうかも分からないものを社員に売るように指示をしろと無理な要求をしてきます。

ある日、僕は両親に呼ばれました。
両親の財産は弟一人に相続させるので両親からの相続遺留分の放棄の書類に判を押せというものでした。
会社を僕に継がせたのだから、家は弟に継がせるという意味だそうです。
結局両親は最後まで僕のことを自分たちの子供として見てなかったんだなと実感しました。
業績の悪い会社を僕に押し付けて自分たちだけが逃げるつもりなのでしょう。
と同時にこれでやっと両親から離れることができるという気持ちもありました。

今現在、僕は会社を辞める準備をしています。
借り入れが多いので多少が苦労すると思います。
しかしそれが済めばやっと両親から逃れられると思っています。
両親が亡くなったら妹と弟とは縁を切るつもりです。
妹や弟に罪はありませんが両親の影をいつまでも見ていたくありません。

僕は両親に恵まれませんでした。
生まれてから50年、両親の機嫌を損ねないように喜ぶことだけを考え耐えてきました。
自分は息子にこのような思いをさせたくありません。
毒親育ちは毒親になると言う人もいます。
しかし毒親に育てられたからこそ、子供は何をされたら嫌なのか両親に与えてもらいたかったものが何なのかが分かっているつもりです。